法要・法事

修正会(しゅしょうえ)

【開催時期】 1月1日

毎年正月初めに旧年の悪を正し、新年の天下泰平、自然安穏、国家隆昌、万民豊楽、五穀豊穣などを祈る法会で、元旦より三日間あるいは十四日間、新年に当たって仏恩に報恩感謝する法会です。

修正会は、悪魔をはらって善神や善心を呼び込むご祈祷です。そこから悪魔祓い部分が節分の「追儺会(ついなえ)」になっていったといいます。また、悪魔は、人間の愚かさや罪深さと連動して、災難をもたらしますから、人間が謙虚になって、罪深く汚れた「我」という過ちを懺悔して、世間に正しい心が回復して平和が行き渡るように祈るのが「悔過(げか)」という法会で、東大寺の「お水取り」や薬師寺の「花会式」などがこの法会です。

「祈りても験(しるし)なきこそ験なれ、祈る心に誠なければ」

祈りとは、自分に都合のいいことを祈る事ではありません。世間の平和と、人様のやすらぎを祈ることです。神仏を当てにするのではなく、私が主体的に安らぎそのものになることで、本当の祈りにしたいものです。

節分会(せつぶんえ)

【開催時期】 2月3日前後

節分は、本来、立春、立夏、立秋、立冬の「季節の分かれる時」の意味ですが、現在は、立春の前夜を節分と呼びます。昔の一日は夜から始まり、新春は立春から始まると考えられていましたので、立春の前夜の節分が年頭の行事として重んじられました。

節分の夜にする豆まきは、追儺(ついな)と呼ばれる宮中の行事が民間でも行われるようになったもので、「鬼やらい」ともいい、中国で古くから行われてきた疫鬼を追い払う行事です。

鬼を追い払うのになぜ豆を撒くか?いろんな解釈がありますが、豆は「魔目」あるいは「魔滅」に通じるので、豆でもって鬼の目をつぶし、魔を滅するとの説がよく言われています。

不動明王をお祀りする寺では、この不動明王の慈悲の力で鬼も鬼でなくなるから、「鬼は外」をいわず「福は内」のみを連呼するところもあります。佛教の考えとして、「福は内、鬼も内」という無差別の思想でありたいと願います。

 

涅槃会(ねはんえ)

【開催時期】 2月15日前後

仏教の開祖である釈尊入滅の日とされる二月十五日に、仏徳を讃歎して行われる法会で、涅槃忌、仏忌、常楽会とも呼ばれます。

釈尊は、インドのクシナガラ城外の沙羅双樹の下で、「頭北面西右脇臥」、つまり、頭を北に、顔を西に向け、右脇を下にした姿で入滅されました。寺院では、釈尊の涅槃像や涅槃図を安置し、『遺教経』(釈尊最後の遺戒)などを読誦して、釈尊の遺徳を偲びます。

彼岸会(ひがんえ)

【開催時期】 3月20日前後、9月23日前後

春分と秋分の日を中日として前後三日間、計七日間に修される法会で、日本特有の行事です。一説には聖徳太子により始まったといわれますが、平安時代初期から朝廷で行われ、江戸時代に年中行事として定着しました。

彼岸は悟りの岸という意味で、此岸(しがん)すなわち迷いの岸に対するもので、彼岸会とは悟りの世界に向かう仏道精進の行事とも考えられています。

観無量寿経の日想観(にっそうかん)に由来し、春分と秋分に西に沈む太陽を通して弥陀の西方浄土を観じたことに由来するともいわれ、それが日本の祖霊崇拝によって変容し、先祖供養の法要や墓参りを意味することとなりました。

灌仏会(かんぶつえ)

【開催時期】 4月8日前後

四月八日。お釈迦さまの誕生を祝う法会をいいます。また「仏生会」、「釈尊降誕会」ともいい、一般には「花祭り」と呼ばれています。

お釈迦さまは中インドで、浄飯王を父とし、摩耶婦人を母として誕生し、姓をゴータマ、幼名をシッダルタといいました。摩耶婦人は出産のため、当時の習慣に従って拘利城に帰ろうとしました。その途中、ルンビニー園の無憂樹の下で身を洗浴し、垂れ下がった花の枝を取ろうとした時、右脇より安らかに太子が誕生されました。その誕生の時に、竜王が空中より甘露の雨に灌いで、太子を洗浴したということから、誕生仏の像に甘茶を灌ぐ行事が行われ、「灌仏会」といわれています。

わが国においては、推古天皇に十四年(六〇六)に初めて寺ごとに四月八日と七月十五日と斎を設け、お釈迦さまの誕生会と盂蘭盆会とが始まった伝えられていますが、その誕生会に灌仏が行われたかどうかは明らかではありません。

灌仏会は明治以降「花祭り」と称されて親しまれ、それぞれの寺院はもとより各宗派とも連合して全国各地で行われています。

海難慰霊祭(かいなんいれいさい)

【開催時期】 5月第3土曜日

「海の日」の制定によって「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」としたその意義を尊重し、その発展の陰で海上、海浜事故によって犠牲となられた物故者のご供養と海上の安全を祈念するものです。

ここ瀬戸内海、第六管区海上保安本部における平成二十年の船舶海難による死亡、行方不明者は四六名でした。そして、海浜事故によって一六二名の尊い命が海の犠牲になっています。

また、広島に原爆投下された時も、多数の人々が水を求めて川に集まり力尽き、その人々がここ広島湾に流されたといわれています。そして、似島は原爆投下直後から陸軍検疫所が臨時の救護所となりました。このため多くの負傷者が宇品港から船で運ばれ、中には船上だけでは対応できずに負傷者の身体にロープを巻いてつなぎ、そのまま海面を曳航されて運ばれた人や途中で海中に沈んでいった人がたくさんいたといわれています。その桟橋跡は、約一万人の被爆者が運び込まれ、応急看護のかいもなく死亡者が続出したという私たちが忘れてはならない現実の慰霊の場所となっています。

盂蘭盆会(うらぼんえ)

【開催時期】 8月16日前後

けちんぼうの罪で餓鬼道におちていた目連尊者の母の性格は地獄に落ちても同じでした。食べ物を与えられると、自分ひとりで食べようとします。すると食べ物はその瞬間に燃え上がるのです。

釈尊は、「お前の母はむさぼりばかりで生きてきた。人に施すとか、与える事を一切しなかったからだ」といわれて、「お前の母に、人に与えるというところを見てもらいなさい。そのためには、十方から僧侶に集まってもらい、七月十五日の日にいろいろな食べ物を供えて祈りなさい」と教えられたのです。そして、その通りにして、ようやくは母は布施する功徳によって地獄の苦しみから救われたのでした。

釈尊はさらに「目連よ、お前の体も、両親がなければこの世に生れてこなかった。だからお前が成仏するならば、その功徳は両親はもちろん、先祖にまで及ぶのだ」と教えられたのでした。このような話に由来するのが盂蘭盆会です。

 

成道会(じょうどうえ)

【開催時期】 12月8日前後

花まつり、涅槃会とともに釈尊にまつわる三大法会として重んじられ、十二月八日、お釈迦さまが成道(悟りの完成)したことを記念して修する法会をいいます。

お釈迦さまは、インドの一国の太子として生まれましたが、人生の無常苦悩に思いをいたし、二十九歳の時に出家して道を求め、苦行すること六年、あらゆる苦行は成道の因とはならないことを知りました。そこで尼連禅河(ブッダガヤのナイランジャナー河)に入って沐浴し、ひとりの少女から供養を受けて気力を回復したのち、菩提樹の下の金剛座上に座って瞑想に入りました。そして、数日を得た十二月八日未明についに悟りを開き、仏陀成道の自覚を得られたのです。三十五歳の時でした。

成道会は、お釈迦さまのあらゆる人々に対する大慈大悲心に感謝するだけでなく、自己を深く見つめなおして、仏道に精進することを誓う日でもあります。